「AKBバブルの終焉」?

はてなブックマークを見ていたらこんなエントリーが。
「AKBバブルの終焉 - よそ行きの妄想」
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20110307/1299454870
要は
「集団で売り出してこそ価値が出ているのになぜ個(板野ソロ)を出したんだ!集団の価値を落とすな!」
「そもそもデビューの順番が格付け(総選挙)と違うじゃないか!わざわざ格付けを否定してどうするんだ!」
で、タイトルに繋がるらしい。

AKB48ファンの自分らからすると内容は・・・ですが、ただ外からAKB48がどう見られているかを知る文章として価値はあると思う。

この人のミスは、商品価値の観点しか頭にないこと。そしてAKB48を「集団」としてしか捉えることが出来なかったこと。(これはAKB48の個々のメンバーがまだまだ力不足で浸透しきれていないからでもあり、AKB側の課題ともいえるが)

まずAKB48はそもそもはじめから「個」を隠すつもりは全くないんだよね。
確かに集団の優位性によってAKB48のネームバリューは爆発的にアップして、この人のようにその優位性を活かすべしと主張する人も出てくるわけですが、秋元氏はじめAKB関係者・メンバー・ファンも「AKB48として売れればそれでいいとはまず誰も思っていない」のです。
そもそも現時点でAKB48が永続的システムだとも、直近で永続的システムになりえるとも思っていないし、個人差はあるけれども基本的に次のステップへの通過点と考えている。AKB48という「集団」の価値が上がるのはそれはそれで良いことだし、個々の能力が今AKB48のネームバリューと釣り合っていないことも十分承知しているけれども、それでもあくまで主体は「個」であって、それぞれが「個」としての活動と「集団」としての活動を上手く折り合いをつけてやることで、最大効果を狙うというのがAKB48の仕組みなわけで、この人が想像(期待)していた、個を隠して集団の利益に向かって邁進する宝塚的なものとは全く別物なわけです。
選抜総選挙もよく勘違いされるけど一イベントでしかないしね。
だから板野友美がソロデビューするのも、トップバッターがその板野なのも別におかしなことではない。

熱狂状態の特徴は、必ず覚めるときがくるということだ。熱狂が終わったときに持続可能なモデルが出来ていないと、単にバブルが崩壊したという話だけで、後には何も残らない。

必ず覚めるときはくるけれど、覚めるまでは意外と長いかもね。オシレーターが天井に達したからといっていつ落ちはじめるかはわからない。
まぁ、バブルであることは当事者たちが一番自覚してますけどね。

AKB48はあくまで、AKB48という集団でブランディングされるべきだと私は主張したい。金融以外の例を出すと、例えば宝塚のように。個人で売れるのは、卒業後でいい。

実はそれに近いアイドルグループは既に存在しているんだけどね。結果は成功というか失敗というかかなり微妙なわけで。